2012年5月9日水曜日

ドラゴンボールの鳥山明先生はいつからマンガを連載しはじめたのですか?

ドラゴンボールの鳥山明先生はいつからマンガを連載しはじめたのですか?

あとどのくらいのマンガを描いてるんですか、マンガのタイトルを教えてください、僕が知ってる限りだと

アラレちゃんにドラゴンボールにキャッシュマンにドラゴンボーイにアックマンそのくらいです、お願いします。







http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%B1%E6%98%8E



出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



鳥山 明(とりやま あきら、1955年4月5日 - )は、日本の漫画家、キャラクターデザイナー。愛知県名古屋市出身[1][2]。現在は、同県の清須市に在住。プロダクションは「BIRD STUDIO」(バードスタジオ)。妻は漫画家のみかみなち。



1978年「ワンダーアイランド」でデビュー。主に『週刊少年ジャンプ』に作品を発表。代表作『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』はいずれもTVアニメ化されており、『ドラゴンボール』は2008年時点で単行本42巻と完全版34巻を合わせて1億5000万部以上、全世界で3億5000万部を超えるヒット作となった[3]。『Dr.スランプ』で第27回(1981年度)小学館漫画賞少年少女部門受賞。2006年の日本のメディア芸術100選では、『ドラゴンボール』がマンガ部門3位に選出されている。



1980年-90年代の「ジャンプ黄金時代」の立役者であり、元『週刊少年ジャンプ』編集長・西村繁男は、「『少年ジャンプ』の600万部の快挙は、鳥山明の破壊的なパワーを借りて初めて実現しえたことは、誰も否定できないだろう」と述べている[4]。



『ドラゴンクエストシリーズ』をはじめ、ゲームのキャラクターデザインも手がける。



(中略)



作品リスト

短編作品は『鳥山明○作劇場』の項を参照の事。



Dr.スランプ

DRAGON BALL(ドラゴンボール) - 『ドラゴンボール (アニメ)』、『ドラゴンボールZ』、『ドラゴンボールGT』も参照の事。

TRUNKS THE STORY -たったひとりの戦士- - 1992年に『週刊少年ジャンプ』に掲載

DRAGONBALL EVOLUTION - 制作総指揮

鳥山明○作劇場 - 短編作品集

鳥山明のヘタッピマンガ研究所 - 1982年より1984年まで『フレッシュジャンプ』に連載/原作:さくまあきら

LADY RED - 1987年に『スーパージャンプ』に掲載

WOLF - 1990年に画集『鳥山明 the world』に掲載

BATTLEMAN F1西ドイツホッケンハイムGP観戦記 - 1990年に『週刊少年ジャンプ』および週刊少年ジャンプ特別編集『F1 GRAND PRIX 1990』に掲載

貯金戦士キャッシュマン

モンモンの相撲遊戯 - 1992年に『週刊少年ジャンプ』に掲載。つの丸の作品に他連載作家と共に協力

DUB&PETER1 - 1992年より1993年まで『Vジャンプ』に掲載。全4話

GO!GO!ACKMAN

宇宙人ペケ - 1996年に『週刊少年ジャンプ』に掲載。全2話

TOKIMECHA - 1997年に『週刊少年ジャンプ』に掲載。全3話

魔神村のBUBUL - 1997年に『週刊少年ジャンプ』に掲載

COWA!

カジカ

ハイギョのマヒマヒ - 1999年に『週刊少年ジャンプ』に掲載

ネコマジンシリーズ

ネコマジンがいる

ネコマジンみけ

ネコマジンZ

ヒョータム - 2000年に『e-ジャンプ』に掲載

SAND LAND

TOCCIO THE ANGEL てんしのトッチオ - 絵本作品

CROSS EPOCH - 2006年に『週刊少年ジャンプ』に掲載。尾田栄一郎との合作

こちらナメック星ドラゴン公園前派出所 - 2006年、「こち亀」連載30周年を記念して発売された書籍『超こち亀』に掲載。秋本治との合作

Dr.MASHIRITO ABALEちゃん - 2007年に『月刊少年ジャンプ』に掲載

さちえちゃんグー!! - 2008年に『ジャンプスクエア』に掲載。原作担当で作画は桂正和。

おいしい島のウーさま - 2009年に2030マガジン『最終戦略 バイオスフィア』に掲載

JIYA -ジヤ- - 2009年末より『ヤングジャンプ』に掲載。全3話。原作担当で作画は桂正和。

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